つばさのコツコツ投資日記

投資信託(インデックスファンド)をつみたてて資産形成しているコツコツ投資家です。

つばさの「闘病記」と「生活防衛資金」について

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こんにちは〜、つばさです。

 

実はわたし、ある病気を患い、約一年間お仕事をお休みしています。

 

今回は、わたしの「闘病記」と「生活防衛資金」について、書きたいと思います。

 

(「闘病記」については、投資と関係ない話なので、興味の無い方は「生活防衛資金」の項目だけでも読んでいただければと思います。)

 

 

 

つばさの「闘病記」

 

2017年3月のある朝

 

2017年3月のある朝、いつも通りお仕事へ行くため、「そろそろ起きよう。」とベッドから起き上がろうとしました。

 

しかし、なぜだか身体が動きません。

 

全身がしびれているような感覚で、しばらくすると激しい動悸が襲ってきました。

 

「ん?なんだこの感覚は?いつもの体調不良と違うぞ!?」

 

と感じながら、しばらくベッドで安静にしていると、だんだん動悸が治まってきました。

 

しかし、すでに出社時間に間に合いそうになかったため、職場に電話し、その日はお仕事をお休みすることにしました。

 

「一日安静にしていれば治るだろう。」と思い、その日は一日安静にしていました。

 

 

翌日、また起き上がろうとすると、同じ症状が襲ってきました。

 

その翌日も、またその翌日も同じ症状が襲ってきます。

 

これが一週間続きました。

 

「これはさすがに病院へ行かなくては。」と思い、妻に連れ添ってもらい病院へ行くことにしました。

 

ある病気であることが判明

 

病院で詳しく診てもらったところ、「ある病気」であることが分かりました。

 

主にストレスから来る病気でした。

 

そういえば、「数年間、長時間勤務が続いていたこと。」「父が肺がんで余命わずかなこと。」「子どもを流産してしまったこと。」など思い当たるものがいくつもありました。

 

おそらく、いくつものストレスが合わさって、病気になってしまったのだと思います。

 

治療開始

 

医師から「とりあえず、お薬を飲んで、お仕事を一ヶ月ほどお休みしましょう。」と言われました。

 

「年度末にお仕事をお休みするなんて申し訳ないな〜。仕事も溜まっているし。。」と思うと同時に、「一ヶ月でよくなるんだったら、まあいいか。」となんだか安心したところがありました。

 

上司からも「仕事のことは気にするな。ゆっくり休みなさい。」と言ってもらえて、ほっとしました。

 

症状改善せず

 

しかし、お薬を飲んで、休養していても、症状が改善することはありませんでした。

 

休職期間は、一ヶ月から二ヶ月、三ヶ月とどんどん延び、お薬も最初は一種類だけだったのが、二十種類以上に増えていきました。

 

趣味だった「ブログ」や「Twitter」など、ほとんどのものに興味が湧かなくなりました。

 

たくさんのブログに相互リンクしていただいていたのですが、更新していない自分のブログを見るのが嫌になり、削除してしまいました。(相互リンクしていただいていたブロガーのみなさま、申し訳ありませんでした!

 

「つば子(子ども)の妊娠発覚!」など、嬉しいニュースもありましたが、症状は改善しませんでした。

 

父が亡くなり、症状が悪化 

 

つば子が産まれる数ヶ月前に、父が肺がんのため、亡くなりました。

 

葬儀の際、喪主をつとめたのですが、親戚の心無い行為にストレスがMAXとなり、葬儀後にその親戚との絶縁を宣言し、そのまま意識を失い倒れてしまいました。

 

その日は、家族が介抱してくれましたが、その後、症状は更に悪化していきました。

 

「つば子が産まれれば、きっと全てよくなるはず!」と自分に言い聞かせ、闘病生活を送っていました。

 

つば子が誕生!しかし…

 

その後、無事につば子が誕生し、「あぁ、これできっと病気もよくなる。」と思っていたのですが、その裏で、また別の親戚トラブルが発生していたことを知り、ストレスがMAXを超えてしまいました。

 

 

一人車で病院へ行った帰り道、急に身体の力が入らなくなり、近くの駐車場に停車。

 

そのまま、意識が薄れていくのを感じて、最後の力をふり絞り、119番に電話。

 

「あぁ、このまま死んでしまうのか。」「妻に葬式の手配はできるだろうか。」「つば子の成長を見たかったなぁ。」などと考えているうちに、救急車が到着。

 

その後のことは、あまり記憶がないのですが、大きな病院へ搬送され、適切な治療のおかげで一命を取りとめました。

 

ようやく回復期へ

 

その後、救急車で搬送された病院で入院することになり、それまで大量の薬を飲んでいましたが、必要最小限の量に調整してもらいました。

 

また、病院側から「まだ試験段階の新しい治療方法を試してみないか?」との提案があり、 試してみることに。

 

一気に回復したわけではありませんが、段々と回復していく感覚がありました。

 

ブログも書けるまでに回復

 

退院後もその治療を受けるため、毎日病院へ通院していましたが、最近になってようやく病気が回復傾向にあるとのことで、週一の通院に切り替わることができました。

 

まだまだ復職には時間がかかるようですが、ひとまず回復傾向ということで安心しました。

 

ブログも書けるまでに回復したので、更新頻度は少ないかもしれませんが、継続して書いていこうと思います。

 

病気になって感じた「生活防衛資金」の重要性

 

ようやく「生活防衛資金」のお話です(笑)。

 

生活防衛資金」とは、「投資戦略の発送法」(木村剛著)という本の中で紹介された概念です。

 

 

わたしの場合は、独身時代から「生活費の2年分」を「生活防衛資金」として銀行預金で確保していました。

 

これは、ブログ「梅屋敷商店街のランダム・ウォーカー(インデックス投資実践記)」の著者である水瀬ケンイチさんの影響を大きく受けたからです。

 

(水瀬さんは生活費の2年分以上を「生活防衛資金」として確保すべきという考えを何度も何度もブログや著書の中で紹介されています。)

 

 

しかし、わたしが確保していた「生活費の2年分」はあくまでも、独身時代の生活費。

 

結婚し、つば子が産まれて、生活費も大幅に増えましたが、「生活防衛資金」の見直しをしていませんでした。

 

 

救急車で病院へ搬送された時、はじめて自分が「死ぬかもしれない」という意識をしたことで、病院を退院後、あらためて「生活防衛資金」を見直しすることにしました。

 

過去の家計簿から、結婚後のだいたいの生活費を算出し、生活費の2年分以上を銀行預金で確保しました。

 

(リスク資産の一部を売却し、銀行預金に振り替えました。)

 

2年分「以上」としたのは、今後つば子の養育費がプラスされるだろうという考えから余裕を持った金額としました。

 

 

今回自分が病気になってから、幸いなことに、「職場の福利厚生で給与の一部が支給されること」「公的な医療制度(高額療養費制度や自立支援医療制度)などが利用できた」ことから、「生活防衛資金」を取り崩した金額はわずかでした。

 

しかし、一年を経過してもまだ病気は完治していません。

 

あらためて「生活防衛資金」の見直しをしてみて、生活費の2年分以上を「無リスク資産」で確保しておくのが、つばさ家のリスク許容度からみて必要だなと感じました。

 

 

最後に

 

今後、当ブログで扱う記事は、主に「リスク資産」に関するものが多いと思われますが、その背景に十分な「生活防衛資金」(無リスク資産)を確保しているということを、意識して読んでいただければと思います。

 

生活防衛資金」(無リスク資産)がいくら必要かについては、各家庭のリスク許容度によって変わってくると思いますが、インデックス投資ブロガーの一例として参考にしていただければ幸いです。

 

 

アディオス!